旅行情報メディア【トリマ】

鈴ヶ森刑場はいわくつきの遺跡?噂される心霊現象と過去の実態とは

鈴ヶ森刑場はいわくつきの遺跡?噂される心霊現象と過去の実態とは

2020.09.17

Trima編集部

Trima編集部のアカウントです。

東京都品川区にある鈴ヶ森刑場は一見するとただの遺跡ですが、心霊スポットとしても知られています。ここでは昔、220年に渡って多くの人が処刑されてきた歴史を持っているため、漂う霊の数も多いようです。今回はこの鈴ヶ森刑場について詳しく紹介します。

目次

  1. 東京都品川区の鈴ヶ森刑場
  2. 鈴ヶ森刑場の歴史
  3. 鈴ヶ森刑場遺跡の場所
  4. 鈴ヶ森刑場の過去の実態
  5. 処刑された多くの罪人
  6. 首洗の井戸
  7. 火炙台
  8. 磔台
  9. 鈴ヶ森刑場の心霊現象
  10. 心霊写真
  11. 処刑された罪人たちの霊
  12. 鈴ヶ森インター入り口で多発する事故
  13. 井戸の金網を外すと祟られる
  14. 鈴ヶ森刑場の逸話
  15. 恋人に会うため放火「八百屋お七」
  16. 幕府転覆を図った「丸橋忠弥」
  17. 辻斬りの「白井権八」
  18. 結婚詐欺「 白子屋しらこや お熊」
  19. 渡辺健蔵の首塚
  20. 鈴ヶ森刑場と関係の深い「涙橋」
  21. 知らないと通り過ぎてしまう遺跡

東京都品川区の鈴ヶ森刑場

 (750342)

東京都品川区にある鈴ヶ森刑場は、都内からすぐ行けるとあって心霊スポット目当てに訪れる人も多いようです。幽霊を見ることを目的とする人が多いですが、実はこの場所は古い歴史があり、様々な物語がありました。

今回は、心霊スポットである鈴ヶ森刑場について、心霊現象や逸話を紹介します。

鈴ヶ森刑場の歴史

Castle Light Prison - Free photo on Pixabay (750343)

鈴ヶ森刑場は1651年に開設された刑場です。当時は江戸に流れてくる浪人が多く、彼らが犯罪を犯すことが頻繁に起きていたため、江戸の入口に当たる東海道沿いに建てられました。

初めての処刑者である丸橋忠弥から最後の処刑者である渡辺健蔵まで、およそ220年間の間に10万人から20万人の人がこの地で殺されたとされています。

当時の記録は残されておらず、具体的にどれくらいの人数が処刑されたかは明らかになっていません。

鈴ヶ森刑場遺跡の場所

Map Navigation Hands - Free photo on Pixabay (750346)

鈴ヶ森刑場は心霊スポットとしてではなく、遺跡を巡る人にも人気がある場所です。品川区の観光地で検索すると鈴ヶ森刑場もヒットします。そのため、昼でも訪れる人は少なくありません。子連れにはあまり人気がありませんが、シニア世代や遺跡好きな人が多く訪れます。

鈴ヶ森刑場に行くには京浜急行に乗り、大森海岸駅で降ります。そこから鈴ヶ森刑場へは歩いて10分程です。近くにはしながわ区民公園や区立鈴ヶ森中学校があります。

鈴ヶ森刑場の過去の実態

 (750345)

刑場として機能していた頃の鈴ヶ森刑場の実態を紹介します。

これらの中には今でも遺跡として間近で見られるものも多くあります。

処刑された多くの罪人

Prison Prisoner Slavery Human - Free photo on Pixabay (750344)

鈴ヶ森刑場で処刑された罪人の数は10万人とも20万人とも言われています。昔は今ほど裁判や捜査の制度が整っていなかったので、罪人は殺されることが多く、証拠がなくても罪人と決めつけられることも多かったようです。

そのため、無罪であるのに首切りにされたり、理不尽に罪名を付けられたりすることも少なくありませんでした。果たして10万人、20万人のうち、本当に罰せられるべき人がどれだけいたのかは今となっては分かりません。

首洗の井戸

Fountain Old Stone Wall - Free photo on Pixabay (750347)

首洗の井戸は、その名の通りかつて首切りとなった罪人の首を洗っていた場所です。首を人前にさらす前にある程度血を落とし、よく顔が見えるようにしていたとされています。

また、首切りに使用した刀や槍もこの井戸で洗っていたとされています。金網がありますが、今でも上から覗くことができます。深さはそれほどなく、洗いやすいように設計されているのかもしれません。

現在は中に水はなく、血があったような痕跡も無くなっています。

火炙台

Fire Flames Bonfire - Free photo on Pixabay (750348)

鈴ヶ森刑場では、火あぶりの刑がよく使われていたと言われています。遺跡の中にまだ残っており、今でもその時に使われていた台を見ることができます。

火あぶりの刑は強い火力ではなく、弱い火で足元からじわじわと焼いていきます。こうすることによって罪人は苦しみながら死に、その悲鳴を市民に聞かせることによって見せしめの意味も込められていました。

火あぶりにされたほとんどの人が、死因は窒息死で、自分が焼かれる煙に肺をやられたようです。

磔台

Jesus Cross Faith - Free photo on Pixabay (750349)

磔の刑も残酷な処刑方法ですが、鈴ヶ森刑場では火あぶりの刑と並んでよく使われていたようです。その時罪人をはりつける磔台もその跡形が残っています。

磔台に罪人をはりつけ、合図とともにわき腹から反対側の肩にかけて槍を突きさす方法です。そして槍を引き抜き、繰り返し指します。見せしめの意味が強く、辺りには内臓が飛び散ることも多かったようです。

罪人が有名であればあるほど見物客は多く、最期の時を一目見ようという人が多く集まっていました。

鈴ヶ森刑場の心霊現象

Pumpkin Halloween Face - Free photo on Pixabay (750351)

昼は普通の遺跡のように見える鈴ヶ森刑場も、夜になるとたちまち心霊スポットになります。過去に何万人という人がここで命を絶たれているため、幽霊がいてもおかしくありません。

ここでは、心霊現象を紹介します。

心霊写真

Photo Camera Photography Old - Free photo on Pixabay (750353)

鈴ヶ森刑場で写真を撮ると、高確率で心霊写真が撮れるという噂があります。首のない幽霊の姿がはっきりと写っているものもありますが、多くが白いモヤがかかっていたり、火の玉のようなものが写っていたりします。

鈴ヶ森刑場に幽霊が出る、写真を撮ると心霊写真になるというのは地元の人には有名な話であり、わざわざ夜に訪れる人はいないそうです。面白半分でこの地で写真を撮り、それをきっかけに不幸になった人がいるという噂もあります。

処刑された罪人たちの霊

Model Beautiful Portrait - Free photo on Pixabay (750355)

鈴ヶ森刑場に漂っている幽霊は、そのほとんどが過去に処刑された人であると言われています。本当の罪人であればまだいいのですが、中には罪を被せられたり冤罪だったりして、不本意に殺された人も多くいるでしょう。

そのような人の中には、突然すぎて状況を把握できないまま殺され、自分が死んだことにも気づいていない人や、何も罪を犯していないのに処刑されたことへの恨みで魂がこの世に残っている人が多いとされています。

鈴ヶ森インター入り口で多発する事故

Glass Shattered Window - Free photo on Pixabay (750356)

鈴ヶ森刑場の近くには高速道路が走っており、鈴ヶ森インターの入口があります。ここは事故多発場所としても知られています。幽霊の仕業であるかどうかは定かではありませんが、夜中にこの高速道路を走っていて、実際に幽霊を見たという目撃情報も多く寄せられています。

その人たちは鈴ヶ森刑場の存在を知らなかったため、霊を見たというのは思い込みではなく事実ではないかと見られています。地元では、もっぱら鈴ヶ森刑場が事故に関係しているという噂です。

井戸の金網を外すと祟られる

Chainlink Fence Basketball - Free photo on Pixabay (750357)

先ほど紹介した「首洗の井戸」は、現在金網が被せられています。これは井戸の中にごみを捨てられないようにするために設置されたようですが、この金網を外すと祟られるという噂があります。

この場所は斬首された後に洗われる場所であり、水が溜まっていた場所なので幽霊も留まりやすかったとされています。金網によって閉じ込められている幽霊が、金網を外すことによって解き放たれ、その外した人に殺されたと勘違いしてしまうようです。

鈴ヶ森刑場の逸話

Book Read Old - Free photo on Pixabay (750335)

鈴ヶ森刑場には様々な逸話が残されています。その多くが現在でも演劇や歌舞伎の題材となっています。

ここでは鈴ヶ森刑場にまつわる5つの有名な逸話を紹介します。

恋人に会うため放火「八百屋お七」

Fire Flame Carbon - Free photo on Pixabay (750336)

鈴ヶ森刑場で最も有名な逸話が「八百屋お七」です。1683年に起きた天和の大火によってお七の家は燃えてしまいました。お七は住む家が無くなったので親と一緒に寺に避難し、そこで生田庄之介と恋に落ちます。

しかし家が建て直されたことで2人はこれ以上会えなくなります。恋人に会いたいあまり、また家が燃えたら寺に住めると考えたお七は、建て直されたばかりの家に火を付けました。

火はすぐに消されましたが、お七は放火の罪で捕まり、鈴ヶ森刑場にて火あぶりの刑となりました。

幕府転覆を図った「丸橋忠弥」

Knight Warrior Horse - Free photo on Pixabay (750337)

丸橋忠弥は鈴ヶ森刑場で初めて処刑された人物として知られています。浪人の不満を利用し、慶応の変を起こして幕府転覆をはかった由井正雪の一味だったそうです。

結局、由井らは仲間が幕府に密告したことで計画は中止となり、由井は自害しました。丸橋忠弥も寝ていたところを襲われ、その後鈴ヶ森刑場に運ばれて磔の刑となりました。

この話は今でも受け継がれており、多くの芝居やドラマで再現されています。作中の丸橋忠弥は熱血漢として描かれています。

辻斬りの「白井権八」

Zen Buddha Peace - Free photo on Pixabay (750338)

白井権八は、江戸時代に実在した武士で、本名は平井権八です。18歳の若さで父親の同僚を殺し、江戸に逃げてきました。仕事が無いため辻斬りをして生活していました。辻斬りとは現代の強盗殺人のことで、彼は130人もの人を殺したとされています。

その後普化宗東昌寺で尺八を学び、虚無僧として故郷の鳥取に戻りました。しかし、その頃すでに彼の両親が亡くなっていることを知り、自首したと言われています。

25歳という若さで、鈴ヶ森刑場で刑死しました。

結婚詐欺「 白子屋しらこや お熊」

Rings Jewellery Wedding - Free image on Pixabay (750339)

お熊と呼ばれる女性は、現代でいうところの結婚詐欺を犯しました。日本橋の材木屋白子屋の長女として生まれたお熊は、実の母親と計画し、持参金を目当てに又四郎を婿として迎え入れました。

その後下女を使って又四郎を殺そうとしました。又四郎は軽傷を負ったのみでしたが、殺人未遂としてお熊は捕まえられ、市中引き回しの刑となりました。

彼女は日本橋でも有名な美女であったため、一目見ようと多くの人が集まったようです。

渡辺健蔵の首塚

Grave Sky Cross - Free photo on Pixabay (750340)

1868年に鈴ヶ森刑場で首をさらされた渡辺健蔵は、鈴ヶ森刑場でさらされる最後の人物となりました。渡辺健蔵は、当時官軍が民に対して金品を強要するなどの振る舞いをしていたことから、池上本門寺に直訴に行きました。

これを「官軍に対する謀反」とされ、現在のりょうぜん橋のところで首を切られ、鈴ヶ森刑場に首さらしの刑となりました。民衆は彼の死を偲び、お墓を建てました。彼の墓は現在でも残されており、「お首さま」として呼ばれています。

鈴ヶ森刑場と関係の深い「涙橋」

Silver Jubilee Bridge Suspension - Free photo on Pixabay (750358)

荒川区と品川区の2カ所にあった「涙橋」は近隣の刑場と深いかかわりがあるとされています。今は普通の道路となっていますが、当時は川にかかっていた橋であり、罪人はこの橋を通って処刑される刑場まで歩いて行ったとされています。

罪人はこの橋を渡ればもう戻ることはできないこの世との別れを意味し、家族は彼らを目にする最期の瞬間です。この橋の上で涙を流した人が数え切れないほどいることから、涙橋と言われていました。鈴ヶ森刑場の近くにある涙橋は現在では浜川橋に名称が変わっています。

知らないと通り過ぎてしまう遺跡

End Time Ruins World - Free image on Pixabay (750359)

今回は、昔は刑場として使われ、今は遺跡や心霊スポットとして知られる鈴ヶ森刑場について紹介しました。

このような遺跡は昔の物語や歴史を知っておく方が楽しめるスポットでもあります。昼と夜、両方訪れてみると、また違った雰囲気を楽しめることでしょう。

関連する記事